撮影方向:長曽川側から県道七尾羽咋線側 田んぼの中の小さな踏切ですが、この踏切の町道を長曽川方面に進むと橋があります。 そのためか、大型車通行禁止だけになっています。 「角川日本地名大辞典 17 石川県」昭和56年7月8日発行版によると、明治時代の金丸の小字に杉谷というのがありました。読みは書かれていなかったので、不明です。 それにしても、谷内→杉谷ってなんだかしりとりみたいですね。 |
撮影方向:長曽川側から県道七尾羽咋線側 第1があれば第2もありますが、こちらは小型特殊以外の自動車通行禁止となっています。 第1杉谷踏切と道幅があまり変わらない気がしますが、きっと何かあるのでしょうね。 このあたりから建物が増えてきます。 |
撮影方向:長曽川側から県道七尾羽咋線側 金丸地区から能登部地区に入って最初の踏切です。 長曽川に橋がかかっていないせいか、小型特殊以外の自動車通行禁止となっています。 下出というのは、明治時代に能登部下にあった小字のようです。(「角川日本地名大辞典 17 石川県」昭和56年7月8日発行版より) 読みは書かれていませんでしたが、まあ「しもで」だと思います。県道漆原下出線(うるしはらしもでせん)というのがあるぐらいですから。その下出とは場所が違いますが^^;。 |
撮影方向:カルチャーセンター飛翔側から県道七尾羽咋線側 第2が無く、いきなり第3となっています。 この踏切より金丸側は線路できれいに住宅地と田畑が分かれています。 この踏切にかかる町道を県道七尾羽咋線側に進むと能登部下交差点に、逆側に進むと県道鹿西氷見線に出ます。 筆者の手持ちの地図にも、この踏切を通るバス路線があるように描かれています。 |
撮影方向:カルチャーセンター飛翔側から県道七尾羽咋線側 能登部の住宅街に眠る、二輪車でも離合に難儀しそうな道にかかる踏切です。 かなり狭い道ですが、なんと遮断機があります。 小型特殊以外の自動車は通行禁止ですが、物理的に無理でしょう^^;。 なお、中大門も明治時代に能登部下にあった小字のようです。(「角川日本地名大辞典 17 石川県」昭和56年7月8日発行版より) |
撮影方向:高畠側から県道七尾羽咋線側 能登部駅前を通る県道能登部停車場線をさらに進み、県道鹿西氷見線に出たところにある、県道鹿西氷見線にかかる踏切です。 ちょうど能登部下と能登部上の境目になります。 ちなみに、この踏切から国道159号方面に進むと高畠になります。 金丸駅から能登部側へ1つめの踏切が高畠踏切だったことを考慮すると、高畠を中心とした扇形状に線路が伸びていたと考えられますね。 なお、御祖というのは能登部下の小字ではなく、旧鹿島郡鹿島町南西部にあった旧村(旧の旧。つまり鹿島町ができる前)名であり、「みおや」と読むそうです。(「角川日本地名大辞典 17 石川県」昭和56年7月8日発行版より) |